世界

旅に出ることが大好き 心疾患持ち看護師

はるちゃんのこと

 

 

私が初めて、

担当した子で亡くなったのは

500グラムにも満たない

小さな赤ちゃんでした。

小さな体でお腹の手術をがんばったけれど

待っても待ってもおしっこが出ずに、

浮腫んでいく一方でした。

一縷の望みをかけて行った治療も効かず

あとは、はるちゃんの生命力を見守ろう

ということになりました。

 

ママは、本当に強い方で

この子の前では泣かないって決めたから、

って、いつもはるちゃんに笑顔を向けて

自分には何ができるかなって

面会中はずっと、気丈にしていました。

 

はるちゃんはとっても小さいけど、

表情豊かな子でした。

気分が良いときの顔、嫌なときの顔

はっきりわかる子でした。

小さな目で、キョロキョロ

周りを見てくれたこともありました。

でも、だんだん、浮腫みで

目も開けられなくなり、

表情も読めなくなっていきました。

それでも、ママもパパも

はるちゃんの表情とか動きとか、

すごくよく見てくれていて

はるちゃんが亡くなる1日前、ママが

「昨日面会のとき目を開けたんです!」って

私に写真を見せてくれました。

浮腫みでどこまでが本当の輪郭か

わからなくなっていて、瞼にだって

スペースは少しもできないはずなのに。

そこには確かに、少しだけ

目を開けたはるちゃんがいました。

しんどい中、体が重い中、

ママやパパの顔を見ようと、

もう1度目を開けてくれたんですね。

 

私も、はるちゃんの前では

なるべく笑顔でいたいって思って

病院では我慢していましたが、

家に帰って、涙が止まりませんでした。

 

一瞬の世界じゃなくてこれから

たくさんの人、色んなことに出会うはずで、

小さく生まれて、これから大変なことも
たくさんあるだろうけど、

優しくて強いママとパパに

大切に大切に育ててもらえたはずなのに。

 

積極的に治療しない、ということで、

点滴をただの水に変えても

それでも3日もがんばってくれました。

最期は、ママの腕に抱かれて亡くなりました。

 

はるちゃんはご両親によく似て

本当に強い子でした。

毎日、はるちゃんもご両親も、

がんばりすぎるぐらい

がんばってくれていました。

正直、はるちゃんを受け持つのは

病態に関しても、看護も私には力足らずで

先輩に聞きながら、毎日、

こなすだけでも必死で。

毎日悲しくて、苦しくて、でも

かわいいかわいいはるちゃんに

会えることは嬉しくて。

はるちゃんの強さに励ましてもらって。

はるちゃんとご両親の強さには、本当に

たくさん学ばせてもらいました。

はるちゃんが生きた、濃い1ヶ月間を

私は一生忘れません。

でももらってばかりの私にできたことは、

何かあったのだろうか、、

という思いは残りました。

 

その後、再びご両親に

お会いする機会があり、

そのときの気持ちをお話ししてくれました。

 

「出産も、産後もバタバタして

とにかく毎日必死だった。

亡くなったのは悲しかったけれど、

なんていうのかな、、

それだけではなかった。」

と、穏やかな顔で仰っていました。

 

そして、はるちゃんが亡くなってから

ずっと行きたいと思っていた、

ペリネイタルロスの勉強会に参加しました。

どちらかというと、産科のスタッフに

向けたものだったけれど

参加してよかったと思いました。

 

how toはたくさんあるけれど、前提には

子供を大切にする気持ちが1番大切。

ということが、改めて確認できた。

あのとき私にできたことなんて、

何もないんじゃないか?と思っていたけど、

ご両親の次にはるちゃんのことを考えて

ご両親のそばにいて、

はるちゃんのかわいさを知っているのは

間違いなく自分だと言えるし、

はるちゃんのことを、

たくさんのスタッフが考えてくれたから

ご両親が、悲しいだけではないお別れだった

って、感じたのだと思う。

言葉かけや、目に見えるケアを

提供することだけが看護ではない

って、強く思いました。

 

看護師として働く以上、これからも、

想像を絶するような状況の

患者さんやご家族にお会いすることも

あるのだと思います。

無力だと感じることもあると思う。

でも、無力を積み重ねていったら

きっと倒れてしまうから、

自分を認めることも

何なら仕事のひとつとして

考えていったほうがいいよな、、

と、ぼんやり思っています。

 

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